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ハワイ、銭湯の役割。

アロハフライデーという事で今日もハワイの事を書いていきます。

今日はプランテーション時代(移民がたくさんやってきた時代)について書きます。

アメリカで南北戦争 (1861から1865 )が起こり、南部で砂糖生産が衰退した頃、ハワイではアメリカへ輸出するための砂糖産業が隆盛になりました。


そしてこの頃から、砂糖生産の労働者として多くの移民を受け入れました。

これは白人が入植して以来、ハワイアンが伝染病にかかり、多くの人が命を失い、圧倒的に労働者数が足りなかったためです。

中国をはじめとして、ポルトガル、プエルトリコ、フィリピン、日本、韓国など多くの国から移民を受け入れました。

日本は、1868年に元年者と呼ばれる人たちがハワイに入植し、どんどんと人が増えていきました。最初は男の人が労働者として入植しましたが、後に結婚するために女性が本国からやってくるというパターンも多かったようです。

日本人が住んでいた家
典型的な日本人宅内部

1つひどいエピソードがあるのですが(日本人の話ではありません)、ハワイにやってきた男性が結婚相手を探すため、本国へお見合い写真を送りました。その写真を見てハワイへやってきた20代の女性は愕然としました。写真では20代に見えたその男性でしたが、約30~40年前の写真をお見合い写真として女性へ送っていたのです。そうです!目の前の男性は初老のおじさんだったのです。

女性は本国へ帰ることも許されず、男性と結婚することになりました。ただ子供もできて、一緒に添い遂げたので本人たちは幸せに暮らしていたかもしれません。

ところで色々な国からやってきた移民ですが、肌の色が白い人種順に階級が決まりました。

移民者の中でも、アングロサクソン系に一番近いポルトガル人が支配者階級に、その次に肌の色が白い極東アジア系、肌の色が黒いプエルトリコ系やフィリピン系と階級が分けられました。

なぜいろいろな国から移民を呼び寄せたかというと、過酷な環境で長時間働き、なおかつ給料が安くても団結してストライキを起こす可能性が低かったからです。

移民たちは別々の場所に住み、お互いにどのくらい働き、どのくらいの給料をもらっているか最初は知りませんでした。

状況が変わってきたのが、日本人が移住して、沢山の人が入れる銭湯を作った時です。

銭湯

多くの人種が銭湯に行き交流を深めていきました。

おのずと仲良くなり、お互いの給料についても探り合うようになり、人種や民族により給料に隔たりがあることがわかってきました。

こうしていろんな民族が団結そして抗議をするようになり、より良い労働環境へと変わっていきました。

今日はここまでです。

クラウドファンディングについてアップデートします。

現在は13名の方に支援していただいております。

誠にありがとうございます。心より感謝申し上げます。

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それでは良い週末を!